日本人にとっての仕事と家事、そして夫婦と家庭の、特徴的ありよう

一般に中国では、「女性だからという理由で家事を押し付けない」ということは「女性も男性と同じくらい働くのが当たり前」だからである。

さらに言うと女性だからという理由で夫が「週何回かだけパートしてあとは家事をしてればいいよ」と言って守ってくれることはない。

中国人にとって、恋人であろうが夫婦であろうが、父親と母親になろうがパートナーは対等。

そしてそれは女性が男性と同じくらい働く、という原則のもとに成り立っている。

「男は仕事・女は子育て」ではなく、「男も女も仕事と家事」が中国人家庭のスタンダード。

女性だから基本的に自分が家事を全部やるものだと思い込んで家のことを一緒にできない、何でも1人でやってしまう妻は、

中国人夫にとっては家事を共有できない「なんだか心理的に遠い感じがするパートナー」なのかもしれず、

「男は仕事・女は子育て」ではなく、「男も女も仕事と家事」が中国人家庭のスタンダードのようだし、

共働きの両親に代わって祖父母が子を育てる風潮があるのも大きな理由のひとつ、なのかもしれない。

そして、中国ではほとんど祖父母に育てられたと言ってもいいような子どもが大勢いる。

しかし、日本では基本的に親に頼らずに子育てをしているという家庭が多いのではないだろうか。

しかも、経済が停滞する中で若い夫婦は長時間のハードな仕事をしなければならない上に、

育児のプレッシャーも自分で受け止めなければいけない。

日本の若者も他人に迷惑をかけまいと自分から助けを求めたがらない。

「日本人にとっては、たとえ両親でも“他人”なのだ」と、中国とは異なる家族の距離感、“文化的な違い”を感じるのかもしれない。

又、日本特有の社会性とも言える労働環境的背景、すなわち「男性の労働時間が他国に比べて長いこと」、

つまり日本人にとって仕事や会社は特異なる重要事項で、家族や家庭のことなどそっちのけの最優先で、所謂、会社人間であることという、

日本的ガラパゴス風土が未だ主流なためか、

女性であっても仕事への参画が、男と同じく常に8時間労働で済ませることは、腰掛け的労働に見られやすという風潮が抜けきらない。

所謂、過労死が KAROUSHI という立派な国際的に通じる英単語になっていることが、その事情のようにもみえる。