岐阜観光−7/織田信長公居館跡
岐阜城見学の続編です。
実は・・岐阜には若い頃に訪れた事がある。
まだ独身時代に彼女と一緒に“白川郷”へ出かけた際に金華山を車から眺めている。
“白川郷”は現地の民宿に日帰りで仕事をした事がきっかけで、観光時に一泊した。
この時は途中で「郡上八幡城」を見学したが、「岐阜城」には立ち寄っていない。
さて、岐阜城に話を戻そう。
↑(TOP左画像)
「二の丸」の石垣
帰り道は天守の南西路を歩くと・・樹木に覆われ薄暗い山道の途中に高さ2mの立派な石垣が確認出来る。
ここは本来の大きな谷を石垣で護岸しており、岐阜城で最も良い状態で石垣が残されている場所になる。
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「軍用井戸」
同じくここに貯水用の井戸も存在する。
山頂部の見学を終えて、またロープウェーで下山しよう。
すると麓で何やら発掘中の工事現場を目撃する。
ここは昭和59年から発掘調査を始めた「織田信長公居館跡」である。
今までに居館入口部分を構成する巨石列の通路を人力で作業している。
↑(TOP中、右画像)
「織田信長公居館跡」
平成28年度では信長居館の中枢部で「千畳敷」と呼ばれる跡地を調査。
建物跡や石垣の構造、谷川の庭園、池等が確認されている。
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発掘された「石垣」と「水路跡」
上流の滝を経て流れる水路は橋を掛けて結ばれていたとの事。
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地形推定図
ところで、「岐阜城」は関ヶ原の戦いの後は廃城となり、天守は「加納城」へ移され、御三階櫓として再利用されている。。
時間に余裕があれば行ってみたかったが、遺構は石垣だけで櫓は残っていないようだ。
つづく